なぜ「放課後のプレアデス」は深夜枠だったのだろう
もうちっとだけ、推すんじゃ。
ほんとうになんで深夜枠で放送だったのだろうと思う。とてももったいない。それだけ心動かされるほどのエネルギーを持った作品だった。「放課後のプレアデス」は。
少し前に、このエントリーででトップ1に推したものの、何かまだ言い切っていないような感覚がずっと残っていて気持ち悪いままでいる。
たしかに書き連ねたいことはたくさんある。たぶん。浮かんでは消える夜空の星のように数多くのそれが。
でも作品のまとめについては、シバ山ブログさんが見事に書き上げているので、そちらを頼ることにしたい。
この4月から6月にかけてのクールは、いつものごとく事前に何の情報も仕入れることなくぱらりぱらりと見始めていて、この作品も特に何か考えるでもなく「魔法少女もの」カテゴリの一つくらいにしか考えていなかった。
それが物語が進むうちに、月に飛び、土星をかすめ、太陽系を飛び出し、ついには銀河系をも飛び出し……どんどんと広がるスケール。でもそこに描かれる宇宙の姿はけしてお手軽な舞台選択ではなく、ちゃんとした科学の裏付けまで取り込んでの描写や物語のディティールになっている驚きの展開。
さらにそこに絡んでくる各キャラクターの抱えている問題や成長の萌しの描写、そして王道的要素でもあるボーイ・ミーツ・ガールの主題。それらが終盤にかけてぐいとひとつにまとまっていく様は、近年の作品の中では見事としか言いようがないものだった。
だからとてももったいない作品になってしまっている。ここまでのオンエアが深夜の時間帯の放送枠にだけ留まってしまっているのが。こんなスゴい作品が、ある程度トウの立った年齢のオタク層にだけで受けとめられているのはほんとうにもったいない。ネットではジュブナイル作と表現している人も散見できるが、ほんとうに「ジュブナイル」ということばが想定しているであろう世代にもっともっと知られても良い作品だと思う。
7月になれば、キッズステーションでもオンエアが開始されることが決まっているが、その枠がリピート放送を含めても、23時とか深夜3時とか、本来のジュブナイルを送りたい視聴者層からは離れたところになってしまっているのがほんとうにもったいない。
だからせめて口コミからだけでも、作品の存在が知られることにならないだろうか、と些細な希望をここに呟いてみたい。
余談。
希望といえば、最終話を観ていてふと思い浮かんだこと。それは、希望 = 想像 = 創造 という構図。なんとも陳腐なものかもしれないけれど。
以下はさらに余談。
ふと思ったのだけど、ギリシア神話のプレイアデスの女神たちって、7人。ということは、この物語では魔法少女5人 + 会長 + みなと という計算になるのだろうか?
いやいやそんなそんな。5人の少女たちは、何ものでもない可能性を込めた少女たちなのだから。そんな古めかしい既存の概念の中に無理矢理からめようとする必要性なんぞどこにもないだろう。
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さて、ここで敢えて「いまああああじいいいいいいいいいいいいいいいん」と叫んだ後で言ってみるとしよう。
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」