練馬区、中野区の路傍にあるもの
序
いつもならさらっとSNSで報告しておしまいにしてしまうところだが、今回は量がそれなりに多くなったので、それで一つのブログ記事にまとめてみることにした。
簡単に内容について
- 道路の片隅というか、傍らにある小さな建造物
- 歴史を感じさせるもの
- 場合によっては信仰の対象になっているもの
そんなものに気づいたことの記録。
なお以降、Googleの短縮URIがある場合は、どれもGoogle Mapsのストリートビューへのリンクになっているので、環境によっては開く場合に注意が必要かも。
そして見出しに使っている住所は、Google Mapsが返してきたデータをそのままコピペしているので、実際の住所とはずれている可能性もあり得るかも。
ということで本題
〒165-0027 東京都中野区野方4丁目1−16
35.719824, 139.658766
https://goo.gl/maps/kTRKx
大きく割れてしまったことがあるものを、修復した後が見かけられる。花がたくさん供えられていて、たぶん地域の人々から大切にされているのだろう。
〒165-0035 東京都中野区白鷺2丁目48
35.722209, 139.637928
https://goo.gl/maps/kuzjg
西武新宿線鷺ノ宮駅すぐの中杉通り沿いにある一角に、ずいぶんとりっぱな屋根があるのでなにかと思ったら、交通安全厄除地蔵尊だった。
その奧にあったのは、付近を流れる妙正寺川の治水祈念碑。
〒165-0035 東京都中野区白鷺1丁目30−12
35.722173, 139.638160
https://goo.gl/maps/zIZBx
近くの寺院、福蔵院への道標が、半ば傾きながらひっそりとそこに。
〒176-0024 東京都練馬区中村2丁目28−6
35.733857, 139.641334
https://goo.gl/maps/jm1R2
詳細が不明だが、お稲荷様。右側の地面にはたぶん古いお社。
同じ土地の左側には、お不動様。
〒176-0024 東京都練馬区中村3丁目10−8
35.732680, 139.640657
https://goo.gl/maps/GPJmk
石像物群が立ち並ぶ一角。
土地内にある案内板によれば「良辨塚」とのこと。いわく、
良辨僧都は、南北朝時代の僧侶で、ここから五百メートルほど東にある南蔵院の中興第一世です。良辨は、日本各地の霊場を巡拝し、数百部にのぼる法華経(妙法蓮華経)を書き写して奉納して廻りましたが、最後にたどり着いたこの中村の南蔵院に滞留し、周辺の人々を教化したと伝えられています。
この塚は、碑文によると延文二年(一三五七)三月二一日に建立されています。南蔵院は真言宗の寺院ですので、開祖である弘法大師(空海)が高野山で入定した承和二年(八五三)三月二一日の月日に合わせて建てられたと考えられます。建立時に経筒(直径三センチ、高さ十センチで銅製の筒)が埋納され、江戸時代に塚を改修した後は南蔵院に補完されています。建立当時この場所は、鎌倉街道の一つに面しており、街道から南蔵院に入る角に経塚を築いて供養し、人々の幸せの願ったのでしょう。
なお『新編武蔵風土記稿』に良辨僧都を永正年間の人と記しているのは誤りです。また奈良時代に東大寺の大仏建立に尽力した別当良辨僧正とは別人です。
敷地内にある庚申塔や道標などの石造物は、後にこの地に移されたものと考えられます。
とのこと。
〒176-0023 東京都練馬区中村北4丁目12
35.735781, 139.634983
https://goo.gl/maps/tRFNF
碑文には、九頭竜弁財天縁起記とあるが、他にも馬頭観音などの碑も並んでいる。
〒179-0074 東京都練馬区春日町2丁目9
35.753705, 139.644213
https://goo.gl/maps/Q5VC0
用件を終えて帰ろうとしていたときに、沈む夕陽が見渡せる場所を探していて見つけた物件。
解説板には、「ふじ大山道」とあり、それらしき道標があるが、傍らには子育て地蔵尊が。
祠の中の奉納された額によれば、「一里塚子育地蔵尊」とのことで、昭和六二年四月吉祥日に、環状八号線拡張に伴い、移転されたものらしい。
この近辺には他にもまだまだいろいろあるのだけども、今回は日没で光量不足になったため、このあたりでお開きに。
余談
そして今月のフォトライフ容量残がほとんどなくなり……。