気分のチャンネル

積ん読の量がいっこうに減らないどころか、着々と増え続ける日々が続いてはたしてどれくらいになるだろうか。『重力の虹』なんぞはハードカヴァーを寝かせ続けている間に新訳版が出てくるという、世界の事態の進む早さを痛感する事態が生じたりしている。
けして読む時間がないというわけではないのだが、なかなかに読み進めることができない。その理由は何か、と自分を客観的に眺めて考えるに、多分に気分がのるか否かという点が見逃せないように思う。
こんなことを書くと、なにを当たり前なと思われるかもしれないが、それなりの量のある文章を読み進めようとすると、気分というファクターはけっしてバカにできるようなものではないように思う。
自分の場合は、小説なんぞは読もうと思って書物を開いても、時としてなかなか読み進められない、あるいは内容が頭にはいってこないということがままある。明らかに「気分がのらない」状態だ。そうかと思えばあっという間に100ページくらいを読み進めてしまうこともある。言ってみれば、自分には気分のチャンネルのようなものがあって、それが読書と言うところに合っていない場合にはそれなりの文章に対峙するのが難しくなってしまっているようだ。ここのところ久しくは。
これは小説といった文章に限ったことではなく、実はコミックでも同じようなことが起きている。どれだけ時間が合ろうとも、2、3ページで読み進めることができなくなってしまうのだ。これは自分がコミックに対しても物語性を重く見て、そういうものが楽しめるものを好んで選択していることも無関係ではないだろう(余談ながら、自分は4コマものは専門的に追い求めることはほとんどない)。
やはり自分は小説なり、コミックなりを読む場合には、自分の中のチャンネルが物語を享受する状態になければ楽しめない性のようなものがあるのだろう。


などと、今日買ってきた雑誌を読み進めるのに一時中断していた理由をつらつらと考えながら文章にしてみた次第。