2015冬アニメ感想

4月も始まって一週間が過ぎるところだが、ここで先月までに最終回を迎えたアニメの感想を簡単にまとめておこうかと思う。

最近は記号を再配置しただけのものがあふれていて、あまり積極的にアニメ番組を追いかけることもしなくなっていたが、この1月から3月の時期は、珍しくいくつかの作品を視聴していた。近年の自分には珍しく、それだけ興味を引き、それを維持できるものが多かったのだろう。そんな自分が、なにに引かれたのか、答えが出ないかもしれないが、感想というか、印象を書き連ねておきたい。

では、月曜日から順番に……。


ユリ熊嵐

ほとんどオンエア直前に近い頃に、幾原監督作品ということを知って視聴したというくらい、事前チェックしていなかった。
初回はキャラクター・デザインがちょっととりつきにくい印象があったものの、始まってみればいつものイクニ空間。ユリで、熊で、(透明な)嵐という、ストレートそのものなタイトルではあるのに、シンボルやお約束が意味しているものが何かを追いかけているうちに、ぐんぐんと真意が明らかになってくる、恐るべきイクニ作品。怒濤の最終回の展開には、まさに予想の斜め上からぐさりとナイフを突き刺されたような感じさえもあった。
そしてOP曲の存在感と、EDの右下隅のちびキャラの存在感も忘れられない問題作。そこに込められた主題は、もっと論議されても良いものだと思うし、されるべきだとも思う。

暁のヨナ

白泉社枠とも言える「花とゆめ」連載作品からのアニメ化。
けっこううまく原作の雰囲気を活かしつつ、話を進めてきたのではないだろうか。しかし、だ。四龍がそろったところで2クールで終了というのは、なんとももったいない。
原作が連載で、黄龍のハードな物語を展開している最中だけに、よけいになんとももったいない。そういう意味でも、今後の展開を期待したいところ。

寄生獣 セイの格率

オンエア開始前は、キャスティングでミギーはほんとうに大丈夫だろうかとか、主人公がなんでメガネなんだとか、いろいろと不安もささやかれていたのだけども、始まってみれば原作をうまく今日的に(小規模な)改変してまとめ上げた作品に仕上げていた。ミギーの声も実際に作品になってみればかえって上手くはまっていたし、メガネの意味もちゃんと活かしてある。実写版映画のような妙な脚色もなく、実に上手くできてたと思う。音楽以外は。

SHIROBAKO

これまでありそうで無かった、アニメーション制作現場を舞台にしたアニメ。
などと書けば、メタなものかと思われるかもしれないが、確かにメタな部分もありはするが、ちゃんとフィクションとして成立していて、それでいてキャラクターや事件に実在のあれやこれやあの人やなにやらが想起されるという、なんとも密度が濃い作品だった。困難あり、挫折あり、夢あり、成長あり、虚偽真実入り乱れての2クールは、終わるべくして終わったのだけども、その終わりが寂しくも感じられる良い作品だった。
知らない人には、制作の現場がどんなものかが、たとえ美化されていようが、少しでも感じられるというだけでも、貴重な作品ではないだろうか。

蒼穹のファフナー

たしか何年も前……何年だっただろう?……の作品の続編。
これは現時点ではまだ最終回にはなっていないが、以前のものを観たこともあって、これまで視聴を続けている。
以前のものは、とことんヘルプレスになりそうで、なんとか最後にケリを付けたダークでシビアな物語だったのだが、こんどは果たしてどうしてくれるか。
自分としては、松本まりかの出番がちゃんとあってうれしい。

アルドノア・ゼロ

キャラクター原案が志村貴子というオリジナルもの。
最終回直前まで、どれだけ全滅エンドになるかと思っていたら、あっさりそれを裏切る展開とは……おのれ、虚淵め。
というか、ちょっと終盤、急いで終わらせようとしたのかなという感じがするのがもったいないところ。世界観とか、メカとか、いろいろもったいない。それだけのポテンシャルはあったのだけどなぁ。

夜ノヤッターマン

これは最初はセルフ・パロディかと思わせて……有名な作品のリブートともいえる野心作。
なんといっても、ドロンボー一味が正義のために悪の権化と化しているヤッターマンの勢力をお仕置きするために旅を続けるという、誰もが知っているお約束を逆手に取った設定で話を進めるくせ者的な展開。
まあ、旅するメンバーを見ると、最後にどうなるかは予想がついてしまうのだけど、そこへの持っていきかたは熱い。よくぞ走りきったと讃えたい。

純潔のマリア

これも事前チェックはしておらず、3話目あたりの振り返り配信で1話から見て、追いかけることになった作品。
コミック原作ではあるが、その意欲的な設定やモチーフを見事にアニメ化していた。
そこに宗教観に密接に絡むものがあっただけに、よくぞ手がけたと言える。
自分は原作は未読だったが、おもしろく最終回まで追いかけることができた。こういった作品が作られるということは、現在は表現の場としては、まだそんなには、ひどい状況にはない、のかもしれない。たぶん。


こうして見ると、2クール(変則なものもあるが)作品がいくつかあるのに気づく。
それだけしっかりと作り込もうとした・作り込まれたものがあったのも、見続ける意志を維持できる理由につながっていたのかもしれない。
さあ、このクール。またしても事前チェックはしていないし、片っ端からチェックする気力もあるわけではない。
そんなこのクールは、どれだけ楽しむことができるか。その答えは三ヶ月後に。